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なぜ勉強が楽しくないと感じてしまうのか?学びの快感について考える話

勉強するのが億劫で、机に向かっている時間がつらいと感じている人も多いと思います。一方で、知らないことを知るのは面白く、勉強するのが楽しいという人もいます。なぜ人によって感じ方が違うのでしょう。

最近読んだ「サピエンス全史」という著作に書いていたことなのですが、ホモ・サピエンスがその他の人類に負けず、現在まで生き残った理由の1つが、頭脳の巨大化だと言われています。(詳しくはもっと複雑なのですが)つまり、トラでいう鋭い牙やゴリラでいう強靭な筋肉を持たないホモ・サピエンスは、頭脳を武器にして生き残ったということです。

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福


その発達した頭脳を使って、たくさんの情報を高度に処理し、危険察知能力や問題解決能力の向上で生き延びてきたわけです。

しかし、いくら処理能力が高くても、インプットされる情報量が少ないとせっかくの頭脳も宝の持ち腐れになりますし、それは同時に生存率にも影響を及ぼします。

なので、人間は情報量が少ない状態が続くと、”不安”という感情を抱き、「今お前は危険な状態だぞー!」と意識に働きかけるようにできているわけです。

明るい昼間は平気なのに、夜になると恐怖や不安を感じる現象も知覚できる情報量の差によるものだと思います。

つまり、ホモ・サピエンスにとって”情報”とは死活問題に関わる重要な資源であるわけです。

ここで、タイトルにもある勉強の楽しさの話の戻ります。

知的好奇心という言葉がありますが、この本質は先ほど書いたホモ・サピエンスにとって死活問題につながる”情報”という資源を、意識に能動的に得ようとさせるための欲求のようなものなのではないかと思います。

餓死させないための食欲、過労死させないための睡眠欲、子孫を残すための性欲と同じように、知的好奇心も情報という資源を枯渇させて、危険な環境に身を置くことがないようにするためにプログラムされた欲求ということです。

そうであるならば、食欲や睡眠欲を満たすと幸せになるのと同じように、知的好奇心を満たすと幸せやある種の快感を覚えるはずであり、情報をインプットすることによって辛い思いするのは特殊な状態と言えます。

では、なぜ実際に勉強が辛いと感じる人がいるのでしょうか。正確にはわかりませんが、それは”動機”にヒントがあるのかなと思います。

食事する動機はお腹が空いたからであり、空腹を知覚することは身体がエネルギー不足になることを防ぎます。しかも、そのエネルギーは絶えず消費され、数時間もすればまた空腹を感じることになります。

一方、知的好奇心は情報不足になり、身体が危険な状況にさらされることを防ぎますが、その情報は身体の中で消費されることはありません。”忘れる”ということはありますが、全ての情報を忘れることはなく、脳が重要だと判断した情報に関してはなかなか忘れることはないと思います。

つまり、情報が不足していると感じない限り、それほど知的好奇心が促されることはなく、そのような場合、食欲や性欲、睡眠欲、自己顕示欲が優先され、そうした欲求を満たすために時間を消費することになるでしょう。

その他の欲求のように、ごく自然な生理現象として情報が不足しているという欲求を煽る”動機”を作り出すことが難しいのです。

そのため、知的好奇心は普遍的な欲求にはなり得ず、勉強が楽しいと感じる人がいる一方で億劫に思う人も出てくるのかなと思いました。

この命題に関しては、まだまだ考えなければならないことがたくさんあると思いますので、その点に関してはまた後日、気が向けば書いていこうかなと思います。

以上、勝手な持論ばかり述べた自己満記事でした。考えたことをアウトプットして整理するために書いているだけなので、何言ってんだって感じて捉えてください。